歴史に怨念を持ち続けるというのは・・。進歩の無い生き方か??
歴史に怨念を持ち続けるというのは・・。進歩の無い生き方か??
西郷の墓地で大久保の法要に待ったがかかかった。
歴史とは消し去れないが、後世への学習の橋渡しはできうるのでは???
こんにちは。税理士・コンサルの佐藤です。
今年は大久保利通が暗殺されて140年だそうな。
そこで生まれ故郷の鹿児島で法要をしようとしたが、その場所は西郷の墓地だった。
早速、西郷さんの支持者等々から「待った」がかかった。
やむなく、法要の名称を変えて実行となった・・とのニュース。
飽きれて口がふさがらない!!!!
ともに意見が異なっても「民」を主軸にしたものに・・。
すでに時を経ている。
両者を皆で弔うということにはならないのだろうか???
西郷と大久保はともに薩摩藩の下級武士で、明治維新の立役者。
今のNHK大河ドラマの進行でわかるから、ここでは割愛する。
私が問題にしたいのは、歴史を歪曲することはできないが、歴史に学び後世に役たてることはできるだろう・・。と、言うことだ。
近代史(?)として、足利・・織田・・明智・・羽柴のちの豊臣・・徳川・以後250年そして今・・
仮に織田の天下が続いていたら・・。
明智が天下を統一して公家をまつり上げていたら・・。
秀吉が没前に堅固な秀吉の身内で固めていたら・・。
徳川の時代になっても長子相続が慣例化しなかったら・・。
いろいろと考えることはフィクションだ・・。
しかし、歴史のターニングポイントであったことは「すべてが自己保身」だ。
これで歴史が動いてきた。
日本史の学習は「結果」だけ。
明治時代以降の近代政治史を見ると、後世に名を残す政治家はいる。しかし、すべてではない。
われわれが後世に責任を果たすとすれば、今の私利私欲の政治を終わらせることだ。
わが国の総理大臣は議会制民主主義をとっているから直接選べるわけではない。
従て与党の議員を過半数以下にすることだ。
あの時、カレが違う行動をしていたら、今の世の中は違っていただろう・・。
と、考えて行動しようとしても、できないのは・・。
どうせ選挙に行っても、変わらないのではないか・・。
こういうのが行動を起こせない・・(困難の原因の一つであるエモーションディフィカルティだ)
これが偽政者の希望するところでもある・・。
考えて欲しい・・。
税理士・コンサル 佐藤春男
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